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Posted by OZAKI-20
 
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1985年 尾崎豊
1985年1月12日、日本青年館の舞台で尾崎が「お前らのその視線がオレを孤独にする。」と発した瞬間、予想もしない「バーカ!ずっと言ってろ。」というヤジが飛んだ。想像もしないその言葉に、会場全体が凍りついた。はじめてのホールツアー中の出来事だった。無名から有名へと変わりつつある中での出来事だった。

3月21日、セカンドアルバム「回帰線(TROPIC OF GRADUATION)」発売。オリコン初登場第1位獲得。時代は尾崎豊を求めていたのだろう。ただ間違いないのは、尾崎本人が想像していたより、遥かに速い速度で「アーティスト・尾崎豊」はスターダムを駆け上がって行く。

5月6日、立川市民会館でコンサートツアー「TROPIC OF GRADUATION」がスタートした。これは全国ツアーだった。しかも、どの会場も即日完売。メディアは「10代のカリスマ」と呼び、どの会場もそのカリスマの姿を一目見たいという若者達であふれていた。まだ彼自身も19歳であったのに…。

8月25日、そのカリスマは大阪球場に2万人以上もの観客を集める。19歳の青年は、自身が作詞・作曲した楽曲を、自身で演奏しながら歌い、自身の言葉で語り、コンサートをなしとげた。そのプレッシャーはどれほどのものであっただろう。

しかし世の中は尾崎を求め続けた、ツアーが終わるとレコーディング。レコーディングが終わると、11月1日にはコンサートツアー「LAST TEENAGE APPEARANCE」がはじまった。

11月14-15日、代々木オリンピックプールでは2日間で3万人を動員。それから2週間後の11月28日、二十歳の誕生日前日にサードアルバム「壊れた扉から(THROUGH THE BROKEN DOOR)」をリリース。人気は絶頂に達していた。

このコンサートツアーが終わったのは年が変わった1986年1月1日。この日、福岡国際センターでのラストシーンで、尾崎は深々と一礼をした後、今までにない事をやっている。おそらくどんな有名なアーティストもやらない事だろう。それは全スタッフ紹介。舞台監督、PA、モニター、照明、ピンスポット、ローディー、トランポ(トラック)と紹介し、ツアーマネージャーまでもを全員紹介したのだ。

そしてこう結んだ。「それじゃあまた、いつかみんなに会えたら、またいつかみんなに、もう一度会いたい。それまで元気で。」

「バーカ」のヤジから、約1年の出来事。この挨拶の後、彼は無期限活動停止宣言をして渡米した。あまりにも早い変化に、彼自身がついていけなくなったのだろうか?

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Posted by OZAKI-20
 
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