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Posted by OZAKI-20
 
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「1985年のアイスクリーム」
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facebook からの転載です。

撮影時に感じたことを以前に文章にしていたものです。

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「1985年のアイスクリーム」 田島照久

 晩夏の太陽は西に傾き、この日のフォト・セッションは終盤にさしかかろうとしていた。19歳のロックンローラーは西参道の交差点を横切ったカットのあと、突然、撮影中にもかかわらず誰かに電話をかけ始めた。大切な用事を思い出したのか、撮影のためのパフォーマンスとしてひらめいたのかはともかく、確かにその電話の相手とは何かしらの会話があるようで、しだいに笑い声も混じり、ついに背中を向けると受話器を抱えてうずくまってしまった。よほどおかしいことなのか、背中が小刻みに揺れ続けている。
 今日こそは尾崎豊の一部始終をカメラに収めるのだと、ぼくは彼と固い決意をしていた。にもかかわらず、そんな後ろ姿なら3カットも撮れば充分で、ぼくは所在なく、その背中の揺れが止まるのをじっと待つしかなかった。
 電話は長引いてしまい、知らないうちにぼくは隣りの雑貨屋の店先に並べられた、ふだんは注意すら注いだこともないような生活の品々を、ぼんやりと眺めていた。「田島さん、アイスクリームでも、食べません?」電話を終えた彼の声がぼくを現実へと引き戻してくれた。そういえば熱い1日だった。そして彼のその言葉は、今日はもう終わりにしましょうよ、と言っているようにも聞こえた。
 ぼくらは熱くてキツかったフォト・セッションの慰安のために、その雑貨屋でアイスクリームを買い、誰もいなくなった渋谷の路地裏を歩いて、樹木が異常に少なくてその存在価値すら希薄な公園に落ち着いた。彼は、そこにあったジャングルジムを見つけると子供のように歓喜の声をあげ、幸せこのうえないという顔で、その大きな体を窮屈そうに滑り込ませ、アイスクリームを頬張った。その時、ぼくは彼が抱え込んでいるもの、そのものを観ているような気持ちになっていた。「尾崎豊とは何者なのか」が少しだけ分かりかけた気がしたのだ。今となってはその時感じたことをうまく言い表わすことはできないが、哀しくて、せつない感情を伴うものだった。ぼく自身も日々の仕事に追われる中で、ささやかながら創作時の孤独を感じてしまうことが多かったが、彼に感じたもの、それは俗に言う表現者の孤独とは別物だった。ジャングルジムの中でぼんやりといつまでも夕陽を眺めているその姿は、電話の時の笑い声とはうらはらな気がして、ぼくは言葉をなくしてしまい、あたりが暗くなっていく中で、じっと何かが起きるのを待つしかなかった。

彼の長くて白い指にアイスクリームの溶けた純白が絡んで冷たそうだった。

あたりを取り囲む静寂と紫色に塗り込められていく世界は、心地よいものではあったが、夕暮れは無情にもその速度をどんどん増していった。愛用の一眼レフにセットしたトライエックスに、露光の限界が訪れようとしていることに気づいて、ぼくは先に言葉を発する必要に迫られてしまった。
「尾崎くん、もう終わりにしようか? 最後に何かいいアイデアでもあれば撮ってみるけど?」すると、彼は少し微笑んでからジャングルジムを降り、公園の前の道に座り込み、溶けかかったアイスクリームで世界中の彼や彼女がいちばん必要としているその単語を書き記した。
 実に哀しくも美しいパフォーマンスだった。灼けた熱気を含んだアスファルトはまるでそれを欲していたかのように、瞬時にしてその冷たくて暖かいメッセージを吸い込んでいった。

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この連続カットをよく見てみると、最後のあたりでアイスクリームが無くなってしまい、手で延ばして完成させている様子が記録されています。
Posted by OZAKI-20
 
[Tajima
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