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Posted by OZAKI-20
 
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OZAKI STONE
stone91

 尾崎豊の写真を撮ることになって、しばらくはモノクロームしか撮らないことを決めると気が楽になった。その頃、ぼくの写真家としてのキャリアは充分なものではなく、カメラも35ミリ一眼レフが二台とブローニータイプが一台で、交換レンズは五本も無かったように思う。アートディレクターとして、グラフィックデザイナーとして、そのうえフォトグラファーとしても尾崎さんに関わることになり、たくさんのことをディレクションしていく立場にあったぼくは、まず写真の撮り方を決めると、デビュー以降の展開が明確になったのが分かった。
 
 ロケーションの現場に着くと、尾崎くんは笑顔でぼくの前に現れた。写真として必要なカットは、次に発売が決まったシングル曲「卒業」のジャケット用のものだった。ぼくがその日、彼と会ったのは、あの衝撃的なジャンプで全国に尾崎豊の名前が知れ渡った日比谷野外音楽堂でのライブ以来だった。「尾崎くん、どう、まだ足は痛むの」とこの先の撮影のことを考えて訊いてみると「ええ、もう大丈夫ですが、まだここに補強材が入ってるんですよ」そう言って彼は足首のところを指差し、そのことが煩わしそうな表情をした。
 照明用のトラスに登って、コンクリートのステージに跳び降り、足を骨折してしまった壮絶なステージパフォーマンスは、ぼくの脳裏に焼き付いたままだった。撮影に適した所に向かいながら、どうして、あんな高いところからジャンプしたのか、と訊いてみると「いやあ、上まで登ったら、観客がみんなで飛び降りろ、ジャンプしろって、手招きしてたんですよ、それで、仕方なく…」そう言って、バツが悪そうに笑った。 ぼくはあの日、ライブ会場の最後部でカメラを構え、その一部始終を撮っていた。望遠レンズ越しにはその表情までよく見えていた。彼があのとき跳び降りた理由は他にもあることは分かっていた。

 「卒業」を聴いてからというもの、ぼくのなかの尾崎豊像は完成に近づいていた。それにしても、アルバム「十七歳の地図」は衝撃だったが、その時、既に三十代だったぼくにとって、それは少し離れた世界でもあった。しかし「卒業」という一曲は違っていた。この曲が持つ普遍性に気付くと、ぼくにとっての尾崎豊はより近い存在になっていた。世代の壁を超えて、彼が挑もうとしている境地を感じていた。
 思えば、あの日のロケーションは、ある意味で軽率な仕掛けの写真を撮ることだった。ぼくは小道具として石ころを一個携えていた。「卒業」の衝撃的な一節「夜の校舎、窓ガラス、壊して廻った…」を聴いて、なんと美しい情景なのだろうと思った。夜の学校に忍び込み、教室の窓ガラスを割ってしまうという場面を想い描くと、高校生にとって、これ以上の行き場の無いレジスタンスはあるのだろうかと思った。それは無垢な時代にだけ許される美学かも知れなかった。
 
 石を渡すと、尾崎くんはぼくが撮ろうとしていることを、直ぐに分かってくれた。さりげなく構えたその姿は思った以上のものだった。
 薄曇りの空には風もなく、気持ちが良い日だった。喧噪を離れた公園は静かなもので、誰ひとりとして、そんな都会の片隅で行われている地味な撮影に興味を示すものは居なかった。

(田島照久)
Posted by OZAKI-20
 
[Tajima
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